犠牲で成り立つ取引

一般的に言われる「フェアトレード」とは、取引に有利な先進国が開発途上国との貿易において、強い立場を利用して取引価格をとことん引き下げようとするがために、そのしわ寄せが開発途上国における不安定で低い賃金や劣悪な労働環境につながり、その劣悪な労働環境を支える労働力に、数多くの児童労働が含まれていることから、このような不平等をなくし、労働や生産される製品に見合った適正な価格で継続的な取引をしようとする取り組みのことを言います。つまり、開発途上国に犠牲を強いることで先進国のコスト削減を実現し、低価格で消費者に商品を販売するという不平等が当たり前のように行われてたことを改善しようという取り組みです。

国の枠を超えて関わる人への無知

私たちが生活するうえでは様々なものを消費していますが、それらのものを手にするまでには、知ると知らぬとにかかわらず、国の枠を超えて多くの人たちが関わっているのです。しかし、日頃そのようなことを意識することはほとんどなく、当たり前のように消費や浪費をし、その背後で同じ地球のどこかの国の誰かを犠牲にしていることに思いを馳せることもほとんどありません。かと言って、消費者としてどの商品が誰のどれぐらいの犠牲のうえで成り立っているのかを知る術がない以上、できることがあるとすれば、フェアトレードの認証マークを信じて購入することぐらいしかないのです。

選択の難しさ

つまり、知っていれば避けることができるとしても、知らず知らずに誰かを犠牲にしてしまっていることは避けられず、知ったとしてもその価格差があまりにも大きければ、一般的には価格が高くなるフェアトレード認証マークの商品と、そうではない商品とが一緒に並べられていた場合、余程意識を高く持つ人か、お金の余裕がある人でない限りは、フェアトレード商品を選択することはかなり難しいことなのかも知れません。

千里の道も一歩から

そうなると、すべてのものがフェアトレードに切り替わらない限りは、誰かの犠牲を避けることはできないということになる訳ですが、そこに至るまでには膨大な時間がかかることが想定されますし、企業や国の枠を超えた地球規模での取り組みが不可欠です。その取り組みを主導しているのがSDGsであり、ESG投資であり、教育の力であり、壮大な目標を掲げつつ、例え小さな一歩でも、できるだけ多くの人を巻き込みながら踏み出さない限り、たどり着けない以上は、一人一人が意識を高めながら今できることを行い、その取り組みを継続させていくしかないのです。

FPも自分事として捉える

このような壮大な目標への一歩を踏み出すなかで、FPとしても、フェアトレードを他人事として捉えるのではなく、自分事として捉える必要があるのです。特に、FPの資格を武器に様々な金融商品を販売してコミッションを得るような場合、情報の格差を利用して会社の利益や自分の利益を優先した商品を顧客に勧めるケースが横行している事実もあり、そのことがFP資格の信用を傷つけ、信頼を失うことになりかねないのです。もちろんFPも仕事として取り組む以上は、利益が得られるようにしなければ生活ができませんし、無欲無私だけでは成り立つものではありませんが、私利私欲ではフェアトレードにはなりませんので、顧客の利益を最大化させるために知恵を絞り、実行援助など顧客に貢献しながら、結果として適正な利益が得られるようなバランス感覚を持つことが大切なのです。

By hb