団体募集を単独で行い始めて、成果も出だし、徐々に一人でも団体を設置できるようになった。次第に範囲を地元の兵庫にも広げると、直行直帰が多くなり、会社に行く機会が減ってしまった。自分としては慣れるために必死だったし、成果が出始めていたので仕事の大変さよりも面白さの方が勝っていたためか、全然苦にならず、また誰も見ていない一人なので、サボろうと思えばいくらでもサボれる状態にあっても、為すべきことはキッチリこなすように心掛けていた。

一方、先輩は先輩で私が一人で回り出すと他に補助はいないため、自動的に一人で回る羽目になってしまった。実は先輩は余り運転が好きではなかったのだ。まだカーナビも普及していない時代で、どこに行くのも紙のMAPを購入して、それを見ながら行くしかなかったのだが、営業補助の大事な仕事に、運転そのものや目的地に時間通りに着くことも含まれ、そこは私の得意分野だった。ですから、先輩はコミュニケーション力とトーク力を活かせば良く、それでうまく回っていたのだが、私が単独行動をすることにより、苦手なところに気をとられ、ロング缶を飲みながら運転する訳にもいかなくなり、一気に営業活動の歯車に狂いが生じてしまったようだった。

たまに会社での打ち合わせでお会いし、その後お互いに別々の場所へ営業活動に出掛けるのだが、一向に魔法を使えなくなったみたいに、数字が挙がらない日々が続いていた。それもそのはず、朝と夕に会社に顔を出すものの、やはり営業活動には足が向かなかったようだった。単独行動には向き不向きがあり、明らかに先輩は不向きのタイプだった。流石に数字が全く挙がらない状態をいつまでも続けている訳にもいかないためか、ある日、私が回っている兵庫の方を手伝おうかとご提案いただき、再び一緒に回るようになった。

丁度、兵庫の小さな役場で人数規模が少ないところで苦戦していたこともあり、渡りに船で助けていただいたのだ。やはり先輩にとっては、単独募集単独行動は向かないためか、一緒に回ると数字が挙がってくるのは流石だった。ですから、先輩が主役で私が脇役での募集なら、比較的上手くいくのだ。ところが、私に気兼ねがあったのか、後輩に譲ろうという意図があったのか、私に主役をやらせようとするのだった。普通はそのようなご期待をいただくと、応えようと努力し、先輩を超えていく姿を見せることが一つの恩返しにもなるのだろうが、偏固で頑固な私にはそれが苦痛で億劫になってしまったのだ。

By hb

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