何のビジョンも後ろ盾も先立つものも、ほとんど何もないにも拘らず、ただ一人になりたいばかりに、わがままを通そうとしていた。言い出したら聞かない頑固なところも手伝って、もう後には引けない状況に自分で自分を追い込んでいったのだ。他人よりも倍の大学時代を経て就職したため、スタートから出遅れ、更には入社後1年半程で、特別な知識やスキルを身につけた訳でもなかったのだ。ちょっと一人で団体募集をしてみて、まぐれ的な成果が出ていたことをまぐれとは受け止めず、自分ならやればできるとでも思ってしまったのかも知れない。

先輩も社長も、どうせ失敗するのが目に見えていても、言ったところで聞く耳を持つはずがないとでも思われていたのか、特に強く慰留される事もなく、あっさりと退職する事となった。しかも、自己都合退職だと、失業給付の受給までに制限がかかる事となり、生活費も大変だろうからと、離職票を好意により会社都合にしてくれ、すぐに受給できるような配慮までしてくれたのだ。

お蔭様で、直ぐに失業給付の受給資格確認や失業の認定などを経て、失業給付をもらいながら、早朝から深夜まで働いていた生活から一転して、怠惰な生活が始まったのだ。特に何かを成し遂げたいとか、身につけたスキルを発揮するとか、目指すゴールも、その手段も、決まらないまま、時間ばかりが過ぎていく日々だった。ラクな方ラクな方を選ぶ傾向とともに、真っ暗なトンネルの先に一点の光も見えない状態のなかで立ち止まっていたような感覚だった気がする。

次第に生活費も底をつき、失業給付の受給期間もあっという間に過ぎた。結局はアルバイトしながら、独立の真似事のような個人事業で家庭教師を請け負ったり、不要なものを売り払ったりして凌いでいた。考えてみれば、全然自分の事を深掘りもせず、どんな付加価値を提供できるかの棚卸もせず、ただ闇雲におカネになりそうな事だけを模索していた。親が公務員の家庭で育った自分には、商売のノウハウも、感性もなく、それを補うための勉強に費やす発想やそのための資金もなく、結局は何をやってもうまくいくことはなかった。明らかな失敗路線をまっしぐらに進んでいたが、そんな自分にも目をつむり、相変わらずブラブラして時間を無駄に費やしていた時に、バッタリと顔見知り程度の人に出会い、あれよあれよという間に、その人の会社を手伝う事になった。人生は何が起こるか分からないものだ。

By hb

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